19w~出産まで。
2013年 11月 11日
マタニティライフ が18wで止まってしまっていて、そのままではなんとなく気持ち悪いのでその後をキロクしておこうと思います。もう忘れちゃってることも多いけど、iPhoneの「妊娠カレンダー」というアプリに大雑把に記録していたのでそれを頼りに・・・。
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5月31日に7cmあった子宮頸管長ですが(厳密にいうと、子宮の筋肉+頸管長を合わせて7cm)、その2日後またおりものが気になったので病院に行ったところ半分の3.5cmになってました(←実は、これは後から聞いた事実で、その日は「問題ないよ」で済まされていた・・・)
後日、医師から聞いた話しでは、20wあたりで「子宮の筋肉」部分が無くなるとかで、子宮頸管長だけになるそうです。
妊娠週数が進むにつれ徐々に子宮頸管長の長さは短くなって行くのですが、この時期の子宮頸管長は3.5cm~4cmが正常値。それよりも短い場合は「切迫早産」と診断されます。
37週0日から41週6日が正期産と呼ばれ、赤ちゃんが生まれるのに適した時期ですが、それより前に赤ちゃんが生まれることを早産といいます。
切迫早産と診断された人すべてが早産になるわけではありませんが、早産になる確率が上がってしまうのです。そして私は3.5cmということで、正常値のミニマム値、「切迫早産」と診断される瀬戸際ということになります。
(「おりものが気になる」ということですが、今回の妊娠では初期からずっと水っぽいおりものが多くて、破水なんじゃないかとビクビクさせられました。結局この水っぽいおりものは出産までずっとありました。)
3日後、産院で母親学級があり、またおりものが気になったので「今、産院にいるんだし、ついでに診てもらおう~」と思って診察してもらったら「ちょっと短いね~。安静生活を送ってください」と。その時に3日前には3.5cm、その日は3.4cmになっているという事実を知らされました。
7cmと聞いていた日から僅か5日間での出来事です。
会社に連絡し、医師から安静生活を指示されてしまってもう出社できなくなってしまったことを伝え、予定よりも2か月早くマタニティ休暇に入ることになりました。
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それからは1週間ごとの診察となり、長男の時の経験 があるため、恐らく、医師が私に要求した以上の安静生活を私は送りました。
1週間後は現状維持の3.4cm。
更に1週間後は維持の3.4cm。
でも、更に1週間後は2.8cm・・・。
2.8cmとは、長男妊娠時に、事前に医師にOKを貰って行っていたお正月の旅行先で1適だけだったけど出血してしまい、緊急で掛かった病院にて「切迫早産」と診断され、家からは遠い、縁もゆかりもない土地で緊急入院した時の長さです・・・。
そして、今回もその2.8cmになってしまい、その時の医師のとんでもない発言を私は聞き洩らしませんでした。
「この週数だったら、もう中絶できないからな・・・」
私がどれだけの思いで2人目を願っていたか…。
子宮内膜症の手術をはじめ、仕事から帰ってきてから漢方を毎日30分かけて煎じて飲んだり、鍼灸に通ったり、ザクロのしずく飲んだり、布ナプキンに変えてみたり、身体を冷やさないように大好きなコーヒーはガマンしたり、冷たい飲み物は飲まないようにしたり、その他にもどれだけ努力してやっと授かったのか、この医師は知るはずもないけれど、この一言に驚愕しました・・・。
「何を言っているのだろう、この人は・・・」
産院の医師は「2.5cmまではここで診られるので、それまではここで・・・」と言っていましたが、私は2.8cmで入院した経験があるのでこのまま自宅安静でいいのか、しかも、とんでもない発言をしたこの医師にこれからも診てもらうことが怖くてたまりませんでした。この辺りではとても人気でいつも混んでいる産婦人科なんですけどね。そんなのはもうどうでもよくなりました。
自宅から車で1時間ほどにある私の実家のすぐそばには周産期母子医療センターがある大学病院があり、年長さんの長男のことが心配でしたがお腹の中にいる赤ちゃんのために、ダンナさんや実家の母と相談し、実家に帰省して、大学病院に転院することを決めました。
2.8cmになってしまった4日後にまた産院へ行き、実家までの移動の負担を考えると今のうちに転院したい旨を医師に告げ、大学病院へ連絡&紹介状を用意してもらって正式に転院することに。22wのできごとです。
その日のうちに実家の母に迎えに来てもらい、年長さんの長男をダンナさんに託して、私は実家へ帰りました。
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翌日、大学病院へ行きました。
前日の1時間ドライブの影響が気になるところでしたが、変わらずの2.8cm。
大学病院での、出産予定日の分娩予約はもうすでに終了していましたが、分娩も大学病院でできるように手配してくれました。
始めの2、3週間は毎週診察があって、その間2.8cmをキープしていたし、お腹も張ってなかったし、長男の時も2.8cmくらいをキープして結局正期産で出産したという事実から「もともと体質で短いのかもね。2週間ごとの診察でOK」ということになりました。
それから出産まで、お腹の張りはないのに、私の子宮頸管長は最短2.0cm、最長3.5cmをいったりきたり。2.4cmの時が一番多かったです(経産婦なので、前回の2.8cmよりも短くなるのは仕方ないこと、と言われました)
長男の時はお腹の張りを止めるためにウテメリン点滴を2ヶ月半、シャワーを浴びる時以外ずっとしていましたが、今回はウテメリン錠剤の内服(毎食後と就寝前の1日4錠)だけで済みました。
ウテメリン内服は35w6dで終了しました。内服を止めてからの「張り返し」が気になるところでしたが、お腹の張りはなし。点滴では張り返しが起きやすいけど、内服ではそんなにないようです。
そして迎えた正期産。
37週を過ぎても、38週を過ぎても、相変わらずお腹の張りはなし。
それまで安静にしていたためか、お腹の子は大き目と。
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自分の誕生日の日に行った妊婦健診で、区から貰った妊婦健診で使える助成券もすべて使い果たし、医師には「お腹も重くてしんどいし、今日は自分の誕生日なので今日生まれるといいな~」のような話しをしたら強めに内診をしてくれ、「破水とかあったらすぐ来てね。23時くらいまでに病院に来れたら同じ誕生日になるね~」と言われました。ちなみに、この時の子宮口の開きは2cmくらい。
そして午後は両親と買い物&私のお誕生日ランチということでステーキを食べ、歩き回ってから帰宅。
夕方も何もなし。
スクワットをしてみたけど、夜も何もなし。
23時を過ぎても何もなくて「あーあ、同じ誕生日はムリだった~」と思いながら就寝。
夜中の1時くらいに、違和感がありトイレへ。
ザーッとお水が!
これは破水だと思い、寝ている母を起こし(お水は出続けるのではなく、トイレでのザーッと出た1回だけだった)、病院へ電話をして破水したみたいなのでこれから病院に向かいたい旨を伝えました。
ダンナさんは、私の実家にいつでも来れるように常にスタンバってくれていて、その日も何かあったら長男をお願いできるようにと自分の実家に長男と一緒に泊まっていました。ダンナさんにも破水したっぽいからこれから病院へ向かうと連絡をし、タオルを当てて母の運転で病院へ。
病院に着いて、救急受付をしてから車イスで病棟まで運ばれ、すぐに診察してもらって破水を確認。
陣痛室で30分くらい横になってたら陣痛が始まりました。
母に横に付き添ってもらいながら時折やって来る痛みに1時間くらい耐えてたらダンナさん到着。
長男の時は陣痛→分娩が思ってたよりも早く進んでしまい、立ち合い出産希望だったのに叶わなかったので、今回は早目の到着(笑)
30分後くらいに助産師さんが「分娩室に移動できますか?行けるタイミングで行きましょう」と。
ダンナさんに支えられながら分娩室に歩いて移動し、分娩台に横になってからは、陣痛が弱くなったり、間隔が開いてしまったりで、結局陣痛促進剤の点滴を使うことに。朦朧としている中、署名させられました(^^;
ダンナさんは横で手を握りながら呼吸のタイミングを合わせてくれたり、お水を飲ませてくれたり、汗を拭いてくれたり。
当直の助産師さんたちは、同時に3つのお産があって(しかも陣痛室には陣痛で苦しんでる人も1人)とても忙しそうにしていました。私のお産が進まないので点滴の量を時折増やしに来てくれていたり、「次きたら、イキんでみようか」と声をかけてくれたり。
赤ちゃん、やっぱり大きくて、頭がなかなか・・・(^^;
少し出かかっては陣痛が治まっちゃって、せっかく出かかってたのに助産師さんにお腹に押し入れられる、を3回くらいすることに・・・。これが何とも気持ち悪い感覚で・・・。
結果、陣痛室2時間、分娩台2時間で、3424gの元気な男の子が生まれました!
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母はナースステーションの前のラウンジで待機してくれていたのですが、ナースステーションに写し出されている陣痛モニター4つを見ながら過ごしていたそうです。
結局産後2時間くらいそのまま分娩台で休んでいましたが、その時は母も分娩室にきて、生まれたばかりの次男もベビーコットで連れてきてもらってダンナさんと母、私の4人で一緒におしゃべりしたり生まれたばかりの次男と写真を撮ったりしながら過ごしました。
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長男の時同様、出産そのものは4時間という割と短めの安産で済みましたが、妊婦期間は大変だった・・・。
長男の時のことが相当トラウマになっていて、不安と恐怖の毎日。
ちょっとした症状に悪いことを考えてしまい、妊婦健診以外に何度病院に行ったことか・・・。
普通は4週間に1度、後期には2週間に1度、臨月は毎週・・・というペースだと思いますが私は常に2週間に1度くらいは見てもらっていたな・・・。後期は毎週。そして、安静生活を指示された時は精神的に参ってしまって食事も取れなくなり、体重が2kgも減ったっけ。
転院したり、実家に長期帰省したり、家族、特にダンナさんと実家の両親には多大なる協力をしてもらい、心の支えになってもらいました。
ダンナさんのご両親にも、長男の保育園お迎えやお迎え後の夕食・お風呂・・・と数ヶ月間毎日ご協力いただきました。長男には、保育園生活最後の夏祭りや運動会に行ってあげられなかったり、淋しい思いをさせてしまいました・・・。
無事元気な次男を出産できたのは家族みんなのサポートのおかげです。
ありがとう。
これからは家族4人、元気に、仲良く、楽しく、支えあいながら毎日を過ごせたらなぁ、と思っています。
「次は女の子だね!」と何人からか言われましたが、安静生活とかちょっとした症状の恐怖とかもうコリゴリなので勘弁してください・・・(^^;
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by eenymeeny | 2013-11-11 15:41 | マタニティライフ